zhaohua9
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その昔、『キングコング対ゴジラ』を劇場で観た。
「口から放射能火炎をはくゴジラが何で勝たないんだ!しかも出番が少なかったぞ!」って憤慨してブリブリ怒りながら家に帰った記憶がある。「VS.ものって、先に名前が書いてあるほうが勝つんだ」なんてガキんちょ同士で訳知り顔で語り合ってた記憶もある。あれからずいぶん経ったけど、あれ以来「看板キャラ同士のVS.もの」って、両方立てなきゃいけないってのも分かって、観る方としては「あんまり期待して観てはいけない」と言うマナーが自然と身についてしまった。
さて、『エイリアンVS.プレデター』。正直言って私としてはこの2大看板キャラの激突は実現してほしくはなかったな。(2大看板キャラといってもプレデターのほうが格下であることは断っておきたい)
ファン同士が酒の席なんかで「エイリアンのほうが強い」、「いや、プレデターだ!」なんてんで十分だったと思うけど。だって、噛み合わないでしょ?どう考えてもこの2人。2人ったって両方とも人間じゃないけど。映像化するなら本当によく脚本を練らなきゃならなかったはず。これができるのはジェームス・キャメロン位しかいなかったでしょう。それをP.アンダーソンがやっちゃうってんですから、これはもう、私の中では観る前に微妙作品確定…。とは言っても「ファンとしてはチェックせねばなるまい」、という悲壮な覚悟で劇場へ…行くつもりが、仕事の都合でついに行けず、DVDが出るまで待ちました。
観終わって思ったことは、「ほっ、とした」って言うのが正直なところ。
面白かったから?いいえ。あまりに酷かったから。 エイリアン vs プレデター
この酷さなら、後から「あの映画は例外さ。単なるファン目当ての金儲け映画さ」って言えそう。
エイリアンもプレデターもあの扱いの酷さに同情は集まりこそすれ、『キングコングVS.ゴジラ』のように憤慨する人はいないんじゃないかとも思う。そう、この作品のお陰で、お互いの「前シリーズの素晴らしさ」がかえって引き立つと言うもの。アンダーソン君、ありがとうね。自らを下げて相手を引き上げると言う謙譲的表現だ。日本人すら最近忘れていそうな美徳にも気づかせてもらえました。
いやぁ、それにしても面白みも何もない、目新しいものも何一つない、作品でしたね。エイリアンVSプレデター エイリアンの幼虫 純銀 指輪
アメリカじゃファンは大喜びだったそうだけど、もっと喜んでたのは監督と出演者じゃないかな。だって、彼らもエイリアンとプレデターのファンのはずですから。私ならフェイスハガーに顔を覆われて誰だかわかんない状態でスクリーンに映っただけでも、喜びのあまりこの映画を家宝にします。
それにしてもこの映画、タイトルを『エイリアンVS.プレデター&アマゾネス』に改めたらどうだったでしょう?