zhaohua9
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興南のエース・島袋洋奨は、夏の甲子園の決勝から逆算して、春の選抜優勝からの時間を過ごしていた。
「ずっと夏の甲子園での連投を考えてやってきました」
だからこそ沖縄大会中も炎天下200球もの投げ込みを連日行い、蒸し暑さ対策として雨合羽をユニフォームの下に着込むような練習も行なっていた。
その春の王者に挑んだ東海大相模のエース・一二三慎太は、目標こそ甲子園制覇を掲げていたが、神奈川大会を勝ち抜き、33年ぶりの夏の甲子園出場を目指すことだけで精一杯な時間の過ごし方をしていた。
一二三は、4月上旬に行われた室蘭大谷との練習試合で相手右打者の頭部にデッドボールを当てて以来、オーバースローから投げるボールが右方向へ抜けていってしまう、いわゆるイップス(後遺症)に苦しんでいた。5月下旬に招待試合で訪れた沖縄で、島袋のフォームにヒントを得てサイドスローに転向したのも、そのイップスから解放されるフォームがサイドだったというだけだ。剛速球を捨ててでも、高校時代最後の夏を乗り切るために致し方ない決断だった。
ところが甲子園が始まっても一二三の制球は安定しなかった。初戦の水城(茨城)戦では8回2/3を投げ、8個もの四死球を与えて3失点。腕の位置をやや高くして臨んだ3回戦の土岐商(岐阜)戦であわやノーヒットノーランの快投を見せたが、準々決勝の九州学院(熊本)戦で9安打(3失点)、準決勝の成田(千葉)戦では14安打(7失点)と打ち込まれた。試合ごとに、いやイニングごとに微妙にフォームが変わり、なんとかしのいでいこうとする姿勢だけが見てとれた。
一方、島袋も今大会は決して本調子ではなかったように思う。初戦の鳴門(徳島)戦は、5回を投げて5安打を打たれ、四球も3つ。ストライクとボールがはっきりしているのが気になった。しかし、ランナーを背負ってからの、連打を許さない投球術がさえた。膝元へ決まる145キロのストレートは、なかなか高校生が打ち返すのは難しい。準々決勝と準決勝では、序盤に連打を浴びて失点するシーンがあったが、いずれの試合も味方打線が追いつき逆転すると、その後の島袋は相手に1点も許さなかった。
決勝は、連投をものともせず強打の相模打線をわずか1得点に抑えた島袋に軍配があがった。ストレート狙いだった相模打線の裏をかいた変化球の中でも、とりわけ威力を発揮したフォークは選抜後にマスターした球種だ。島袋の計算はそれだけしたたかで、かつ的を射ていたということだ。
決勝戦の直後、東海大相模の門馬敬治監督は言った。
「甲子園に来るためのサイド転向ではなく、一二三をマウンドに上げるための転向だった」
マウンドに上がることだけに苦心した一二三と、決勝にピークを合わせ周到な準備を行なってきた島袋。両エースが決勝のマウンドにたどり着くまでの“差”が、「13-1」という結果を残したのかもしれない。