zhaohua9
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また明和(めいわ)年間(1764~72)には、江戸に参府したオランダ商館長が出した知恵の輪を、平賀源内が難なく解いて驚かしたエピソードもある。天保(てんぽう)(1830~44)のころには智恵(ちえ)の糸が流行した。角鋼パズルリング知恵の輪 秋雲掩月 横棒に二つの糸の輪をつくり、それぞれの輪についている人形を片方の糸に通わすものである。明治時代には、この原理を応用して、鉄棒体操している人形を鉄棒から抜き出す体操人形抜きなどが登場した。大正のころから「知恵の輪」の名で金属製のものが出回るようになった。現在も「頭の体操」的な玩具として人気がある。なかにはガラス製の破損しやすいものをたねに、大道で客をつる「ちえの輪屋」といういかさま商売もみかける。