山口県下関市教育委員会は10日、日本初の流通貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」が鋳造されていたとされる同市長府逢坂町の国史跡「長門鋳銭所跡」から「天平二年(730年)」と記された木簡が出土したと発表した。これまでは文献史料から「708~760年ごろ」と推定されてきたが、木簡は和同開珎の製造時期を初めて裏付ける史料として専門家も重要視している。
木簡は5~6月、和同開珎の破片1点や鋳型の「銭笵(せんぱん)」の破片数千点、鋳造に用いる道具の破片などとともに出土。木簡も約300点が出土し、その1点の記述が「天平二年五月四日主□□部車万呂」と読み取れた(□□は判読不能)。和同開珎の主力鋳銭所だった長門鋳銭所が730年に稼働していたことを裏付けているという。
和同開珎を巡っては「続日本紀(しょくにほんぎ)」など数少ない文献史料から708~760年ごろに作られたと推定されてきたが、明確な根拠はなかった。市教委は「少なくとも730年にこの地で和同開珎が作られていた」とみて、史料の分析を進める。
和同開珎に詳しい大阪市立大の栄原永遠男(とわお)名誉・特任教授(古代流通経済史)は「和同開珎の研究は主に続日本紀と『播磨国郡稲帳(ぐんとうちょう)』に基づいているが、今回の木簡はそれに匹敵する発見だ」と話した。
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